こんにちは。カツデン販促企画部の橋本です。
階段の「踊り場」。
階段名称についての知名度が低い中、比較的馴染みのある言葉ですよね。
住宅だけでなく学校や駅、ショッピングモールなどでも採用されている「階段の途中に設けられた平らなスペース」のことを指します。
しかしながら、言葉通りに解釈すると「踊る場所」。
階段で踊るとは?と不思議に思ったので、由来を調べてみました。
1.「踊る場所」とした由来とは?
「踊り場」の由来には諸説あります。
代表的な説は西洋由来のもの。
明治時代に西洋文化が取り入れられるようになり、西洋建築の伝来とともに貴婦人たちが集まる社交場が作られました。
その一つとして名を馳せているのが「鹿鳴館」。
日本で初めて造られた踊り場といわれています。
鹿鳴館はイギリス人建築家であるジョサイア・コンドルが設計した迎賓館で、敷地面積は約8,300坪。サッカーコート約4面の広さで、現在の価値にして約28億円の大金をかけて建設されました。
写真:鹿鳴館
[ネット出典:歴人マガジン]
鹿鳴館では、社交界の美女たちが華麗さを際立たせるために写真のようなバッスルライン(スカートの後ろ部分にふくらみのあるデザイン)のドレスを着用していました。
このドレスを着た人が階段途中で方向転換をする際、スカートの後ろがひるがえる様子が踊っているように見えたことから、「踊り場」という言葉が生まれたといわれています。
鹿鳴館は1941年に取り壊されましたが、残された写真や見取り図から2階の舞踏室への階段は踊り場のある階段だったことが確認できます。
踊り場はいつからできた?
江戸時代、2階への昇降手段は直階段やはしご、箪笥階段(箱階段)が主流だったため、階段こそあったものの踊り場のような広いスペースはありませんでした。
写真:箱階段
[ネット出典:河合工務店]
3階建ての建物は裕福な商人の権力誇示手段として建てられていましたが、身分制度が重んじられるようになってから建物の高さが7.2mまでの制限を設けられるようになったため、市中では2階建の街並みが形成されていきました。
この時代から前述のとおり文明開化時代が訪れ、西洋建築が取り入れられるようになります。
時代の流れに敏感な大工たちは、見よう見まねで西洋建築を取り入れ、「擬洋風建築物」と呼ばれる和洋折衷で様々な意匠や工法が混じった建築物を生み出していきました。この擬洋風建築物に踊り場が用いられており、踊り場が幕末から明治頃に日本の各地でつくられていたことが確認できます。
写真:山形県庁
[ネット出典:山形県]
階段以外にも「踊場」という言葉がある?
ここまで階段の踊り場について語りましたが、実は同じ言葉で違うものを指す「踊り場」をご存じでしょうか?
それは神奈川県横浜市の市営地下鉄「ブルーライン」にあります。
横浜駅から湘南方面へ30分ほど乗った先にある「踊場駅」。
ここは昔「猫たちが夜な夜な踊っていた」というかわいらしい伝説があります。
写真:横浜市営地下鉄「踊場駅」
[ネット出典:ヨコハマ経済新聞]
___昔、この地にあった醤油屋では一人娘が黒猫の「トラ」を飼っていました。
醤油屋が洗った手ぬぐいを干している際、毎日1本ずつ手拭いがなくなっていることに気が付きます。トラのいたずらかと思ったある月夜、主人が村のはずれでトラを含めた数匹の猫が手ぬぐいを使って踊っていたのを見つけました。
主人はその話を妻に話し、トラがいた丘に毎晩新しい手ぬぐいを置いてやるようになり、この話を聞いた村人たちは猫たちが踊る丘を「踊場」と呼ぶようになりました。___
こちらは実際に(猫が)踊ったという可愛らしい由来!
駅にはいたるところに猫をモチーフにしたオブジェやペイントがあり、猫好きにはたまらない駅となっています。
踊り場の意味
話はそれてしまいましたが、現代では「踊り場」は基本的に安全のために設けられていることがほとんどです。
階段は家の中でも事故が多い場所。直階段だと転んだ場合そのまま下まで落ちてしまう可能性がありますが、踊り場があれば途中で止まる可能性もありますし、途中で休憩することもできます。
カツデンでも直階段はもちろんのこと、UターンやL型などで踊り場つきのプランもあります。
写真:ObjeA Uターン
曲がりプランは転落防止だけでなく、間取り的に直階段だとスペースが足りない場合にも人気のあるプランです。
今に続く踊り場
日本に西洋建築の文化が入らなくても、いずれかの時代で踊り場の階段はできたかもしれません。
しかし、わずか数年で終わってしまった鹿鳴館で生まれた言葉が現代にも続いているというのは、日本語の奥深さを感じますね。